昭和の時代では「ヒト、モノ、カネ」が社会を生き抜くための力で、そこから時代を経て、今は理論や経験に裏付けられた「知識」、アイデアという言葉がニュアンス的に良いかもしれませんが、そういったアイデアや取り組みが社会に影響を及ぼしたり変える時代に変わってきました。
正解がわからない社会的な課題はたくさんあります。まさに、このコロナによるパンデミックがそうですね。
問題解決には、仮説検証が大事だと書かれた書物を読んだことを思い出しました。
正解や解答が導き出せてないことに正解らしきものを早く見つけるには、様々な情報を収集して様々な角度から検証していくことが必要だと。
先日、NHKの番組でイギリスがワクチン接種に向けてのプロジェクトが水面下で進められていたことを紹介されてましたが、まさに、そういうことのように思えました。
私は外資系企業で長く働いてきたのですが、海外の国と比べ日本は既存の考えやプロセスへの拘りが比較的強いこと、手続きやプロセスが複雑で、日本だけなかなか物事が進まないなと感じることが多々ありました。
今回のような危機的な状況になった場合における、日本という国としての課題が表面化したように思います。合理化できていない手続き社会が、補助金支給を遅らせる形にもつながってるように思います。
コロナ対応の経過を振り返れば、単に政府がどうこうではなく、日本人の考え方、文化から生じている状況なのではと思ったりもします。
知識を単なる知識のみ(単なる暗記記憶)で終わらせるのではなく、しっかりと社会に役立てるための思考力、判断力、表現力を養う必要があることから 文科省の学習指導要領の変更や入試制度の改革が行われています。
まさに正解のないことに問題解決の糸口を探るために、課題とどう向き合い、どうアプローチしていくか と教育改革の狙いはそこにあるわけですね。
そして入試制度もこれまでの知識量の測定ではなく、問題解決能力の測定をする方向です。
生徒の勉強法は、少しずつ個人差あります。参考になることはあっても、勉強の仕方に正解や解答はないです。
ですから、自分自身で考えて、それをやってみて、どうだったか振り返りながら(仮説検証です)進んでいかないといけません。
こういうことを繰り返すことが、受験でも、その先の社会においても大事なことであり、社会や人に貢献して、充実した人生を送るための力になる、と改めて思います。
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